日本記号学会大会「ゲーム化する世界」&当面の研究ビジョン

次の週末、二松學舍大学(九段)で日本記号学会の大会があります。
私は非会員ですが、パネルに呼ばれているので参加してきます。
今回、日本記号学会は「ゲーム化する世界」という大会テーマを掲げています。人文系・思想系学会の先手を切って、ゲームを研究テーマとして正面から取り上げることに、一ゲーム研究者として、心より賛辞を送りたいと思います。

日本記号学会第31回大会〜「ゲーム化する世界」
開催日:2011年5月14日(土)、15日(日)
開催会場:二松學舍大学九段キャンパス1号館
参加費:無料

5月14日(土)
14:30-16:00 【セッション1】
マイコンゲーム創世記」
三遊亭あほまろ(庶民文化研究家)、吉岡洋(京都大学
16:15-18:15 【セッション2】
「オンラインゲームにおける共同性がもたらすもの」
香山リカ立教大学)、田中東子(十文字学園女子大学)、小池隆太(米沢女子短期大学)

5月15日(日)
【研究発表】司会:水島久光(東海大学
10:00-10:30 「パースにおける「進化」概念とその現代的考察」 佐古仁志(大阪大学
10:30-11:00 「タイムトラヴェルの第三の眼──『ドラえもん』のタイムトラヴェル表象の分析を通じて」 松谷容作(神戸大学
11:00-11:15 休憩
11:15-11:45 「H.G.ウェルズ『タイムマシン』における時間概念」 太田純貴(京都大学
11:45-12:15 「ビデオゲームにおける二種類の意味」 松永伸司(東京芸術大学

13:30-16:30 【セッション3】
「ゲームにおける身体の位置──時間/イメージ/インターフェイス」 吉田寛立命館大学)、前川修(神戸大学)、河田学(京都造形芸術大学)、松本健太郎(二松學舍大学

大会の公式サイトはココ、チラシのダウンロードはココ、プログラムのダウンロードはココです。参加費無料ですので、皆様是非、両日ともお越し下さい(というか参加費無料って、運営がどうなっているのか不明ですが、学会としてあまりに素晴らしいですね)。
もっとも、記号学会といっても、集まっている人達の専門領域・関心はかなりばらけていて、必ずしも「記号学」なるディシプリンを皆が共有しているわけではない、と伺いました。私の知る「美学会」でも必ずしも「美学」が共有されていないわけですが、それ以上のばらけ具合、という感じでしょうか。かつて「記号学」と言えば、「新しい知」(=ニューアカデミズム?)の代名詞として、人文系のあらゆる分野を席巻した時代がありました。私はタイムリーには経験していませんが、山口昌男さんの著作などに学部時代はかなり傾倒したので、その雰囲気は何となく分かります。その名残で今でも、とくに専門にこだわらず、元気のよい研究者達が集まっているのでしょう。私はそう勝手に理解しています。
いずれにせよ、こちらが思ったほど「記号学」という縛りは強くないようでして、今回はゲームのセッションが三つあるわけですが、結果的に(私は逆に気負いすぎていたようで)われわれのセッション3がもっとも「記号学」っぽい話になる見込みです。
「時間/イメージ/インターフェイス」とあるうち、一応私は「イメージ」担当で、いわゆるデスクトップ・メタファー(アイコン)論とビデオゲーム研究がどう接合できるか(できないか)を今回は考えてみたい、と企画サイドにお伝えしたら、そうなりました。
私としては、持ちネタで何とかすることもできたかも知れませんが、それでは失礼ですし、せっかくの機会ですから(というか、そういうことでもないと私も新しいことを勉強しませんから)付け焼き刃ですが、記号学を色々と独学(つまみ食い)しております。
今のところ、私の発表は「ビデオゲームの画面はどこまで記号学によって定義・記述が可能か?」という題名になる予定で、ビデオゲームのスクリーン上で生じていること、われわれがそこで経験・認識することの独自性(コンピュータのデスクトップやGUIとの相違)を(モリス、パースあたりの)記号学の術語・方法を用いて定義・説明しようとする試みです。もちろん素人なので、まとまった自説を提示するというよりも、具体的な課題を提示して、会場の皆さんのお知恵を借りて一緒に考える、という風にしたいと思っています。
で、今回準備をする中で、あらためて感じたことなのですが、記号学は(私の考える)感性学にとってもきわめて重要な領域なんですね。
元を辿れば、バウムガルテンの『エステティカ』(1750/58)にも「発見論」「配列論」と並んで「記号論」があげられているわけです(もっとも結局未完の書物ですので、目次(構想)にあげられているだけですが)。記号とは何か、それはいかなる認識か、というライプニッツ的な問いの上で、バウムガルテンの感性学の試みが打ち立てられた、と言っても言い過ぎではないでしょう。
私はしばらく前から、「芸術」の領域と特権的に結びついたヘーゲル(以後)のエステティックスに興味を無くしているのですが、さらに最近では、「感性の学」と言いながら「超感性的」または「超越的論」な領域に主題を移した(ずらした)カント(以後)のエステティックスにも興味が薄れつつあります。いわば「感性的論理」の次元に踏みとどまる学として、カント以前(未満)のエステティックスの可能性を再開拓すること。それが当面のライフワーク(言葉として変ですが)になるかなと予感しています。言い方を変えれば、とうとうオレもそこまで保守化したか、という話です(笑)。
つまり、理論編(学説史研究編)としては「カント以前」のエステティックスを研究して、実践編(理論価値検証編)としては、ゲームやデザインやインターフェイスをあくまでも人文学的観点から研究する(というか、そんなことが可能かどうか不明ですが)というのがこの先のビジョンです(その二つの領域に跨るテーマとしての「五感の研究」も細々とやっていくつもりなのですが)。
その際、記号学というのは、依拠する方法としても研究する対象としても悪くないかなと思っています。実際、「カント以前」のエステティックスを再訪する場合、ロックまたはライプニッツ的な記号学(記号作用に着目する認識論)はモロ「ど真ん中」に来ますから、記号学なる学問の歴史もこれからもっと勉強しなくてはと思っています。その意味では今回の依頼は、私の「転機」をもたらしてくれそうな予感です。記号学とはこれまで「何となく」付き合ってきただけだったので、本当にちょうど良い機会でした。もっとも日本記号学会に入会するかどうかはまた別の話ですので、念のため(笑)。