「博士号では十分でない」

以前このブログで(もう三年前になるんだな)水月昭道さんの『高学歴ワーキングプア』という本について好意的に書いたことがある。
ところがその後、同じ著者の『アカデミア・サバイバル』(2009年)を刊行直後に読んでがっかりした記憶がある。
もうそれはあまりにがっかりしたので、あえて批判を書いたり口にしたりもしなかったのだが、「人間関係はスムースに」「挨拶が大事」「空気読め」的な精神論が並べられ、それにとどまらず、「目上の者(教授)には逆らうな・へつらえ」的な日本的アカデミズムの(悪しき)伝統を「戦略的に」肯定する発言までみられる始末(ちなみに私は、その手のものは「戦略的」であればあるほど害悪である、と信ずる者である)。
これじゃあ、前著『高学歴ワーキングプア』での社会的インパクトをもった問題提起の意味がない(なかった)ではないか、結局「皆さんうまくやりましょう」かよ、ビジネス本紛いの精神論かよ、とがっかりした読者の一人である。
ただよく考えたら、この著者(水月さん)に「解決」を求めるのは土台無理というか酷であり、あくまでもそれまで誰も表立ってはしなかった「問題提起」をタイムリーに行ったことが評価されるべきなのだから、前著での「問題提起」に対する「解決編」として『アカデミア・サバイバル』が書かれた(出版社側で企画された)のであれば、著者にとっても難儀なこと&不幸なことだよなあとも思った(実際、帯には売り文句として「解決編」と記されていたし)。問題提起だけで十分である。解決策は誰か一人の手で編み出される(べき)性格のものではない。それを無理にやっちゃったから、こうなっちゃった。
ところで、そのとき思ったのが、こんな下らない本を読むくらいなら、ちょっと古いけど、以下の本を読んだ方が、実践的にも倫理的にも(唾棄すべき価値観の「共犯者」の気分を味わわされなくて済むという意味)まだしもマシだろう、ということであった。

『博士号では十分でない──学問の世界でのサバイバル・ガイド』(Peter J. Feibelman. A PhD Is Not Enough: A Guide To Survival In Science. New York: Basic Books, 1993)
「あなたの学位、能力、技術的能力がどうであろうと、学術研究におけるあなたのキャリアが保証されるわけではまったくない。パーマネントな職はわずかであり、また学問の世界でのサバイバルがフォーマルな大学院教育に組み込まれていることは滅多になく、よき指導者を見つけることも困難である。(以下略)」(Amazonにある「内容説明」の吉田による訳)

この『博士号では十分でない』は、アメリカで1993年に出た古典的マニュアル本であり、博士号を持っているだけでは研究者になれない、でも大学院では研究の世界でのサバイバルの仕方までは教えてくれない、ならばどうやって研究者になるか(この世界でサバイバルしていくか)ということを、実践的に指南したものである。もちろん現在の日本でそのまま通用する部分は多くないかも知れないが、指導教員の選び方、学会発表の仕方、研究室への入り方、職の見つけ方など、基本的な部分は応用可能である。ちなみにこの本は2011年に第二版が出るそうである。
博士号(取得者)がありふれた存在になった、という点で日本は単に(かつての)アメリカに並んだだけである。彼の地では普通のこと、当たり前の事実であり、物事を歴史的に考えるならば、いまさらわれわれがここでバタバタすべき事態ではない、とも言える。単に「博士号では十分でない」のだ。博士号を持ってる(取った)くらいでどうこう言うな、まずはこの本で言われることをクリアしてからだろう、と。
大学&研究の世界を取り巻く現状は確かに厳しいが、それはわれわれがそこから出発すべき「ゼロ地点」であり、決して「マイナス」の(瓦解した、陥没した)地点ではない。この1993年の本(の存在)は、そのことを今のわれわれに教えてくれるのではないだろうか。
先述の水月さんの新著『ホームレス博士』が出たそうで、買って読むかどうかまだ分かりませんが、もし読むならば、このタイミングで一旦、前著の感想を吐き出しておいた方がいいかなと思い、本日この場で記した次第。ちなみに私の周辺では、この物凄いタイトルをめぐり、ならば彼の次の本は『無縁博士』に違いないと予測されています(笑)。(色んな意味で)そんなことにならないよう祈りつつ。