今年はデザイン論でいこうかと

ここ数週間、読書の対象はもっぱらデザイン論。といっても、いわゆるグラフィック・デザインではなく、インダストリアル・デザインの方。巷のインダストリアル・デザイン論は半分くらいは建築の話だが、そこには手を出さず、もう半分の方、つまり家具とか文具とか食器とか、その辺りに当座の関心がある。
手始めにと思って柏木博さんの本を幾つか読んだら面白かったので、結果的に彼の本をおおかた揃えてしまった。前から存在は知っていたが、あらためてまとめて読むと、スゴイ人だ。デザイン研究というディシプリンを一人で作って、かつ中身も全部自分でやっちゃった感じ。日本の研究者だと、他には多木浩二さんの幾つかの仕事も関心範囲に入る。あとは狭い意味での美術以外だと、椅子(座り方)のことなど。これは文化人類学的な文献と、人間工学的な文献と、家具(デザイン)に関する文献とに分かれている。椅子の問題は絶対「美学=感性学的」に面白いはずと思っている(先日、うちのリビングの椅子を全取っ替えしたという背景(?)もある)。「利き腕」の問題も考えていて、つい先日までは下の子が右手で鉛筆を持つように躍起になっていたのだが、今は、このまま左利きになってもらえば、右利きと左利きを一人ずつ育てられるので、その方が私の研究上有益かな、とも思ったり。
前期の授業でユニバーサル・デザインとバリアフリーについて喋ってる関係もあって、最近本屋に行くと(だいたい京都にある二軒のジュンク堂のどちらかですが)デザイン/都市計画/介護用具/人間工学のどれかの棚の前に立っていることが多い。本棚自体がもう完全に分断されてるのね、このテーマについては。学際的って、端的にそういう意味だよね、ともついでに思ったり。
感性の問題を考えるのに、デザインは格好のフィールドだなあと今さら思い立って、美大か専門学校の一年生みたいな通史の勉強から始めて一気にいろいろ読んでいるのだが(すべてが新知識として染み込んでいく、いわゆる「お勉強」の一番楽しい段階ですね)これまで身の回りにデザインの関係者(研究&実践)や情報はたくさんあった(いた)はずなのに、どうして今までまったく関心を持ってこなかったのか、と自分を責めることもしきり。まあ私の場合、そういうことはしばしばなのですが。
そういえば先日、某視聴覚文化論系の飲み会で自己紹介のときに「今年は《姿勢と尊厳》という論文を書きます」と勢いで宣言して(させられて)しまったことを(今)思い出したが、「姿勢」論は必読論文(英語の超有名な科学雑誌なのに)が日本の図書館では入手できないことが判明してから少しやる気が萎えていて(「宣言」した手前どうしようとは思っているが)、代わりにというわけではないが、資本主義的原理と感性(身体)の葛藤や矛盾をデザイン(規格化)の中に読むという話を考えており、ちょうどタイミングよく某雑誌からの原稿依頼が舞い込んだので、それでやらせていただきますと返答して、自分を追い込んだところ。どうやら今年はデザイン論と心中、ということになるかなと。
私の最大の関心は、感性・身体と道具・機械(大量生産)の関係という(現今にあってあまり注目されてない)問題にあるのだが、デザインと規格化のことを調べていくと複製技術や消費文化、「パクリ」といった(現今にあって結構注目されてる)諸問題につながっていることが分かり、ふふーんという感じ(何だそれ?)。
学会とかに入るつもりは当面ないですが、その手の分野の面白い研究会(研究者)や集まりが(とくに関西方面で)あったらどなたか教えて下さい。単純にいろいろ教わりたい、話を聞きたい、というのはあるので。
そういえばちょうど去年の今頃は「五感」のことを必死こいて調べていたなあと思い起こし、一年に一つのペースでいいから何か新しいことをゼロから調べる、ということを今後も継続できたら幸せかもと思った。そのために今の職場環境は最適だと思うので、本当にありがたいです。研究も教育も自由にやらせてもらってるし、時間的余裕も(この職種としては)十分いただいてるし、周りの同僚(教員)や学生も個性的で刺激的で元気が良い人達ばかりだし、事務方のサポート体制も万全だし、と、たまにはきちんと礼を述べてみるふりをして、その実ほめ殺しでプレッシャーをかけてみたり(笑)。