幾分老婆心ながら

(以下に書くことは、当然私の実体験を踏まえてのものですが、個別具体論ではなく、一般的な話ですので、念のため。)
そろそろ大学院入試(学部もそうですが)の季節ですよね。
大学院を受験するにあたっては、そこにいる教員(あるいは院生)に最低一度は会って話をした方がいいです。
こういう当たり前のことをわざわざ言うのは、事前の調査や教員との接触無しにいきなり受験、というケースが最近私の周辺で増えてきている印象があるからです。
もちろん、人文系でも大学院花盛り(は過ぎたのだろうが)で、選択肢も山ほどあり、専門領域の壁を意識的に低くした学際的な大学院も多い今日ですから、他大学の学部からの受験、複数の大学・研究科の併願なども珍しくないですし、比較的「軽い」気持ちで受験できることそれ自体は悪くはないでしょう。また結局は実力がものをいう世界ですので、いきなりの受験でも、事前に面談をしてからの受験でも、合格率は結果的にさほど変わらないようにも思います。
しかし、いくら優秀な(あるいは自分に自信がある)学生でも、その人の研究テーマに対応できる教員が(表向きは対応可能に見えても現実には)いない、とか、その研究テーマやアプローチ・方法論(これ結構重要)ではその研究科で学位を取ることは無理、ということがいくらでもあります。加えて、その研究科の学内での統廃合・再編成計画や、教員の配置転換や大学間異動も頻繁にありえますが、それらは基本的にインターネット上では調べられない情報です。
事前に「面通し」をしていないと試験に合格できない、とかその方が試験に有利、ということは一般にありませんし、あってはなりませんが、その人の研究生活の今後を考えれば、受験前に一度アポイントメントを取って会っておくことにデメリットは一切ないように思います(実際、多くの人がそう考えて実行していると思います)。受け入れる側にもそれなりの準備というか覚悟が必要ですし。
公的な説明会に出る、というので十分かも知れませんが、やはりそれとは別に、教員個人(複数ならなお良し)に会っておいた方がよいでしょう。人間だいたい一度か二度、まとまった時間、面と向かって話してみれば、おおかた化けの皮ははがれる(はがせる)ものなので、その後しばらく関わることになる教員の人間性を知るという意味でも。
面接試験(または口頭試問)は単にその場をしのげればよいという通過点ではなく、(もちろん合格した場合はですが)その人のその大学院における研究活動の出発点になります。指導教員を含めた複数の教員に、自分の研究計画について話し、あれこれ質問を受け、答える、なんて機会は入学してからもそうそうあるわけではありません。ですから、出願時に提出する研究計画書というのは(筆記試験や提出する論文に劣らず)かなり重要で、それをきちんと(単に自分のしたいことではなく、その研究科の内実に即して具体的に)書くためにも、事前に教員(あるいは院生)と話した方がいいと思います。その上で、自分の研究計画書について、面接試験でどの教員にどんなことを言われたかは、その場でメモするなりして、きちんと記憶・記録しておいた方がいいです。受験時の研究計画書はフェイク(「なんちゃって」)で入学してから完全軌道修正、では、まず自分自身が躓きますし、入学後の教員とのコミュニケーションでもロスがあると思います(教員というのは学生から言われた問題やテーマのことはつねに気にかけていて、消極的にではあれ、その後情報収集を重ねて、折をみて学生に伝えるものだからです。もっともこれは別に教員と学生の関係に限ったことではなく、研究仲間同士でも日々やっていることですが)。
もちろんその大学院と所属教員のことを自分でばっちり研究していて、直接聞かなくても何でも知ってる、という研究熱心な人は、この限りではありませんが、最近増えているのはそういうケースではないような印象があります(そういうケースはむしろ歓迎すべきなのですが)。
将来指導教員になる(かも知れない)人間に一度も会わずに大学院を受験するなんて、私の時代には考えられなかったことです。まあ、時代が変わったのだ、いまはそういう文化なのだ、と言われれば、それは仕方ないことなので、こちらが適応していくより他はないですが。
年頭からこんな後ろ向きの話ですみません。最近ここを読んでいる人の層が比較的(というか相対的に)若くなってきた、ということも意識して書きました。こうした語りは大体において、その人間がさかりを過ぎたことの証明ですので、失笑の上、憐れんで許してやって下さい。いま書いておかないと、喉元過ぎれば何とやらで、またしばらく忘れちゃいそうなので。