大型連休

aesthetica2009-05-06

・大型連休中の出来事をだいたい時間順に。
以前から予告していた京都会議泡盛部会を開催。大人六人、子供三人が大集結。これもまた美味すぎる肴達をつまみながら、ロックな人達(私を除く)だけに、全員ロックで呑みまくる。正午から。当日いらっしゃることのできなかった一部の方々には、お誘いが直前になってしまって申し訳ございませんでした。まだ残ってるので、またやります。次回はぜひ。というか、注ぎ足し用の一升瓶(瑞泉、古酒、43パーセント)を買い求めて注ぎ足しましたので、一種の永久機関のように今後もずっと飲めますから。ってダメ人間じゃん。三升の樽があって呑みきれないから協力してもらう、という当初の目的がどこかに吹っ飛んじゃってます。写真は大坂は堺の国から詣でてきた敬虔な信者が御神体に向かって礼拝するの図。樽が小さく見える気がするのは、あくまでも相対的な問題です。
・嫁さんの友達が御目出度く奈良ホテルで挙式するというので、嫁さんつながりの三家族が集まって、奈良で前泊することに。奈良健康ランドという、うちの家族だけでは絶対一生行かない類のところに宿泊。京都から近鉄で一時間ちょい、ファミリー公園という無人駅に着いた途端、すでに(いわゆる関西ローカル的な意味での)パラダイスの予感(悪寒)が。着いて直ぐさま、大人も子供もダボダボの部屋着(男=黄緑、女=ピンク)に着替えさせられたら、あーら不思議、そこは一気にサナトリウムのごとく弛緩した空気に。おまけに鍵が無くならないよう腕時計みたいなゴム状になっており、そのゴム輪を腕に巻くと、さらに病人(廃人)気分が高まります。でかい屋内プールがあって子供達大興奮。慣れてないので危険感覚が欠如したうちの長女がおぼれかけ(普通にテクテク歩いて入水)、私は赤子を抱っこしてたので瞬時に飛び込めず、一緒にいった別のお母さんがすんでのところで救助。いくらわれわれが出不精でも、やっぱり子供らには最低限の経験はさせなきゃいかんな、生きていく上で危ないなと、嫁さん共々大いに反省。夕食も朝食もバイキングで、これまた長女が大喜び。食べ放題のソフトクリームを自分で器に絞る際には、父親として、そしてブラウマイスター(昔知り合いの店でいつも自分で生ビールを勝手に絞って呑んでいた迷惑な客)として、私がきっちり手本を示す。翌日は女性陣が早くから式場である奈良ホテルに出掛け、われわれ男性陣が子供を預かり、再度プールに入れたり風呂に入れたり食事させたりでもうヘトヘト。帰りは車で自宅前まで送ってもらったが、思わず寝てしまう。
・うちから徒歩一分程の神泉苑という場所で、毎年この時期(5月1日〜4日)お祭りをやっている。狂言、奉納太鼓、雅楽奉納、静御前の舞の奉納など、無形文化財級のものをやるので、いつもは閑散として静かなところなのだが、このときばかりはすごい人。たしか昨年はちょうど京都におらず、何も見れなかったので、今年はちょこちょこ家から出て行って、大事なものは大体見ました。近所に住んでいるという先端研の学生(京都カラスマ大学学長)ともばったり出会う。というより、京都で不意に人と会うのは、もうすっかり慣れっこになった。だんだん知り合いが増えてきたし、東京に比べて街の規模が断然小さいので、ホントに一度家の外に出ると一人か二人は知り合いに会う感じ。神泉苑平安時代は内裏内にあった庭園で、源義経静御前が出会った場として、また空海が雨乞い競争して勝った場所として知られている(Wikipediaによる)。ちなみにWikipediaには書いて無いけど、ここには恵方社という「モバイル(回転)型」の社があり、毎年その年の恵方の方角を向くように回される。真偽は未確認だが「日本で唯一の恵方社」という説明が一応付いているので、四歳の娘には「日本中の人々が恵方巻を食べるときに向く方角が、この社に従って、決まるんだよ」と教えてある。
・大阪は城東区深江橋にある西村君音楽学者、四月から大阪音大に着任)の新居(めちゃくちゃステキな新築マンション。広いベランダ、防音室付)にお呼ばれし、ヴィーン・ワインと彼の手料理(ヴィーン仕込み)を頂く。Buchart という超ローカルなワインがものすごく美味くて、これが日本でも飲めたらなあと皆で考え込んでしまう。現地では6ユーロ=800円くらいで買えるのだが、いざ輸入すると送料だけでその二倍以上はかかるらしい。そこまでして飲むものではない。いや誤解の無いように言い直すと、それくらい払う価値のある味なのは確かだが、そもそもワインというのはそういう文化ではない、ということ。とくにカジュアルなワインはどうあっても地元文化なのだ。次にヴィーンにいったら必ず呑もう、ついでに何本か買って帰ろう、くらいが正しい接し方なのだ。大阪は梅田以南はほとんどいったことがない私なので、こういう住宅地っぽい大阪は本当に初めて。結構住みやすそうな印象。御堂筋(線)くらいは知ってたけど、なにわ筋とか堺筋とかが縦に並行して走っていること自体今回初めて知った、それくらいの大阪ド素人。
・連休最終日は、傘が手放せない天気だったので、朝まで仕事して眠かったし家にいようか(つーか起きたの二時なんですが)とも考えたが、子供らが可哀想なので、この機会にとばかり、いつも窓から眺めているだけの二条城についに(初めてなのは私だけだが)赴く。多分、いつもよりも大分空いていたのではないか。門の前のバスの数がまずかなり少なかったし、団体客が中にいなかった。GW最終日だし、曇天だったし、閉門の直前だったし、実は穴場だったか。人が少なかったので、広々と気分良く、二の丸御殿も庭園もじっくり見れた。今度は多少混んでてもいいので、天気の良い午前中とかに来てみよう。狩野派による襖絵や天上絵は障子越しに入ってくる外光次第で違って見えるだろうから、暗めの日はそれはそれで味わい深いが、やはり明るいときに見てみたいと感じた。ふだんの観光ではあまり気に留めないのだが、二条城のやつくらいは家に置いておくべきかなと思い、また半ば画集として、カタログを二種類も買ってしまった。
・四月に入って予算が動かせるようになったので一気に注文した洋書が、この連休中にバラバラと届く(がまともに読めない)。ここ数日で届いたもののうちで目玉は何と言ってもJohannes Peter MüllerのHandbuch der Physiologie des Menschen (1834/1840)。以前からAbeBooksに二巻セットが数点出品されていたが、10万円近くして手が出なかった(まだ出品されてる)。ところがこれは何と175ドル。破格、というかありえん。状態もよさそうだったので迷わず衝動買い。たまにチェックしていて良かった。一九世紀前半(すなわちヘルムホルツ以前)の感覚の生理学を知る上で間違いなく最重要の文献。ウェブでPDF版が見れるし、京都でも京大医学部と日文研にはあるみたいだが、やはり原本が手元にあるのとないのでは大違いだ。第二巻は1840年の初版、第一巻は1844年の第四版ということで、うち(研究室を含めて)の蔵書のなかの第一と第二の古参の座を一挙に奪取、というおまけ付き。クレーリーなど英米の研究者は英訳からしか引用していないので、ドイツ語原版との頁数の照合をそのうち一度やらなくては。二巻合わせて1,500頁以上あるわけだが。
・ヘルダー『言語起源論』『彫塑』、カント『人間学』、ヘーゲル『エンツィクロペディー』(「精神哲学」、「自然哲学」)、オング『声の文化と文字の文化』、デリダ『エコノミメーシス』などを読み、諸感覚の理論において聴覚(耳)がどう位置づけられてきたか、という問題を考えている。秋にはどこかの学会で喋れるかな、という程度には自分なりに言いたいこと・言えることが見えてきたので、もし発表するときにはまたアナウンスします。この分野の先輩諸氏(感覚論をやってる方、多くはありませんが幾人か知ってます)には、御助言の程、よろしくお願いします。
ヴァーグナー論はいよいよ大詰め。実質、著者あとがきを残すのみ(書誌の整理とか特殊文字の処理とか少し残ってるけど)。