Are You at Home Now?

祇園祭が終わった。むろん八坂神社では31日までやってるわけですが、うちの近所はすっかり祭りの後といった感じです。うちのマンションは、24日の還幸祭で全御輿の三分の二(中御座、西御座)が通るコースにもろに面しており、この日はほぼ一日中、自転車も通れない厳戒警備。ふだんは比較的観光客が少ないエリアなので忘れがちでしたが(それでも修学旅行生、外国人、ガイド本持った人々はすっかり日常的光景)あらためて「観光地のど真ん中に住んでる」ことを自覚。もっと「ど真ん中」に住んでいる職場の先輩は、一番メインの神幸祭の時期(とくに宵山前後)は、とても自宅周辺には居れないという理由で、避難のためにホテルをとってました。確かにあの辺りでしたら、日常生活に支障=死傷を来す可能性もあります。
生憎今年は17日も24日も丸一日仕事だったので、宵々山、宵山あたりをちょろっと見れただけだったのですが、十分楽しめました。山と鉾は一個ずつ、自転車で見て巡るのがいいですね。暑い中歩いてたくさんはとても見れません。還幸祭はベランダから家族が撮った写真で見たけど、来年はしかとこの目で見たいですね(実は夜九時頃に帰宅した後、残り一時間くらいベランダから見てたのですが、なにせ暗くて)。後来年は屏風も見たいです。
祇園祭の前後、うちの両親が東京から(主に孫と戯れる目的で)遊びに来ており、私は仕事が忙しくまともに相手ができなかったのだが、六月から七月にかけては、祭りとは無関係に、東北、関東、中部、関西、そして京都市内と、まさに全国各地から、たくさんの客人が訪ねてきてくれた。一週間に二回くらいのペースで来客を遇していた感じである。そのため、お土産を買いにしょっちゅう走り回った。皆様、お暑い中を、とりわけお暑いこの京都に、わざわざ足をお運び頂きまして、ありがとうございました。楽しかったです。唯一の心残りは、うちの下の娘が急に熱を出して、マスダ一家と会いそびれたことだよなー、何と言っても。
うちは私も妻も(幼児がいるせいもあるが、とくに私の問題ですな)かなりの出不精なので、むこうから来て頂かないとなかなか人と会わない。東京にいた頃からそう。東京の時と変わらず、京都はけっこう人が来てくれるから、たくさん人と会えて良かったなー、と思った日々でした。何だよ偉そうに、というお叱りが来そうですが、甘んじてお受けします。皆さんが来てくれるからと言って、甘えていた部分も正直あります。これからは恩返しも込めて、無精せずに自分たちから出向きます。ホントしみじみ、人生持つべき者は友ですから、と妻ともども猛省し、再度誓った次第でございます。とりあえず八月には長期間、東京に行く予定ですので、よろしく。私だけですが、九月には沖縄などにも。
先日さる会合の席で、尊敬する大先達の一人である大橋良介さんに京都に来て初めてお会いした際、「吉田さんは、まだホームシックにはかからない?」と尋ねられたので、いえまったく、と即答。この話をうちで妻にしたら「そういえば、あなたにはホームシックという概念自体ないわよね」と言われた。そう、私は人生においてホームシックにかかった経験がないのだ。日本を一ヶ月離れていても、あっさりしたものが食べたい、美味いコーヒーが飲みたい、とか思うことはあっても、べつに日本(うち)に帰りたいと思ったことはない。しかしそういう会話をして以降、私は無理に自分のなかに「ホームシック的感情」を探すように変に意識するようになってしまった。どうしてくれるんだ。
京都は東京に比べて消費文化が著しく「未発達」なので、日用品(例=ナベ、フライパン)とか雑貨(例=安価な目覚まし時計)とかPC用品(例=キーボードをシューッと吹く空気の缶詰、マウス)とかがとかく手に入りにくい。これは正直、たいへん困っている。東京時代であればすぐあの店に…と毎日ため息だ。だがこれは単なる消費文化への渇望なので、当然ホームシック的感情「ではない」。また今年は(八月に東京に戻った時に食べようと思い)土用の丑にウナギを食べなかったので、まるます家(赤羽)のウナギ喰いたいなーと強く欲したが、その欲望とてもおそらく何でもいいからウナギを食べてたら解消していたであろうから、よってこれもホームシック的感情「ではない」と判定。ただ、期間限定一人暮らしをしていたここ数日、中心市街地を自転車でうろうろしながら、これはホームシック的感情「である」と思われる、自分の中でのある渇望を「発見」した。それは「ごちゃっ」とした感じの街である。それは一般に「アジア的」と称されるものかもしれないし、どこまで東京独自のものかは疑わしいが、少なくとも、今のところ、京都には見当たらない。赤羽(この文脈では東京でも屈指の街だ)はもちろん、御徒町や有楽町(not 銀座)、下北沢、池袋(北口)、新宿(西口とか歌舞伎町の辺とか)とか、端的に「汚い」街が妙に懐かしい。そこに必要なものは、新聞スタンド店(駅の外にあるやつ)、ドトールコーヒー的な店、定食屋(not 大戸屋みたいなチェーン店)、パチンコ屋(しないけど)、風俗店(同じく、しないけど)、あわよくば立ち飲み屋である。あー、もー、これは絶対、人並みにホームシックだわ。
とかいいながら今度、梅田(お初天神通りの辺りとか)に行ったら、それで満ち足りちゃったりして…。立ち飲み屋に関しては、今度西院の折鶴会館とやらに行ってみようと予定しているが…。結局、ホームシック云々という高級な話ではなくて、俺はどこで生きていても何も見てない、何も感じていない、ただボーッと過ごしてる、ってだけのことかも知れんな。とはいえ、あらうる不純な「属性」をはぎ取った後に残る、「ピュアなホームシック」というのも嘘くさいので、すでにホームシッカー、という自己規定でいいかもしれんな。