諸々の御報告

・少し遅くなりましたが、諸々の近況報告をいたします。
・三月三十一日付で東京大学を退職(自己都合による辞職)させて頂きまして、四月一日付で立命館大学大学院先端総合学術研究科に准教授として着任しました。新しい勤務先は、昨年度で五年目を終えた(完成年度を迎えた)ばかりのまだ新しい、五年一貫制の博士課程だけの大学院です。公共、生命、共生、表象という四つのテーマ領域から構成されており、私は表象領域の担当教員となります。「表象」って自分にとってはかなり懐かしい響きなんで、あれほど「敬して遠ざけ」てきたつもりなのに、また結局ここに戻ってきちゃったのか(笑)というちょっとした感慨があります。「表象って何?」って問われて、即答できずにまごついている自分が、十年以上振りくらいに、ここにおりますが、オレ知らないよじゃもう済まされないところが昔とは違う点でしょうか。私が学部を出た頃は、この言葉がこんなに流布するとは思いもしませんでしたが、世の中分かんないものですね。まあ人生イロイロありますな。青山学院大学に今年新設された総合文化政策学部でも、表象文化論の講義があるみたいですね。それにしても新学部設立にあたり新任の専任教員を22人も取るなんて、景気のいい話です。勝負に出てますね、青学。ここには去年まで国立音大で同僚だった宮澤さんが着任しました。そういや、私の親友の一人である音楽学者も、同じくこの四月から、九州の某大学の、やっぱり「表象」の名称を冠した学科に移籍したんだっけ。ほう、こちらは国際文化学部表象文化コースだとな。知らなかっただけで、あちこちにイロイロあんのね。まあ彼女は東京芸大出身だし、同じ音楽研究者とはいえ私とはスタンスも手つきもまったく違うはずだけど、広い意味での「同業者」になったということで。
・ちなみに、私が所属することになった立命館大学大学院の先端総合学術研究科は通称、先端研と呼ばれております。ただしGoogleで「先端研」と検索すると、残念ながらというか当然ながらというか、うちより上位にここここが出ます。うちの先端研を、Googleの検索結果のトップに持って行く方法を開発・実行してくれた人には、私から三泊四日の素敵な京都旅行をプレゼントします(京都までの往復運賃は出ませんが、京風家庭手料理(ただし後片付けはセルフ)、無料レンタサイクル(ママチャリ or 前後に子供用椅子付きのチャリ)、および私の自宅の仕事部屋から見える二条城の夜景付きです)。
・演習や論文指導、論文審査が新しい勤務先での私の主な仕事となります。加えて、教員自らの研究プロジェクトに学生を積極的に巻き込んでいく、というのがうちの研究科の最大の特長です。講義形式の授業を精一杯こなしていた昨年までとは打って変わり、自分の研究活動のペースを取り戻せそうです。というより、自分の研究活動が主軸としてしっかり立っていないと、学生の教育もおぼつかなくなる、という緊張感があります。これは今まで経験したことがない緊張感です。いい方に活かせればと思っています。
・ガイダンスや演習の初日がすでに終わりましたが、きわめて熱意のある学生が多く、こちらもさっそくわくわくしています。関西の学生気質なのか、立命館独特のノリなのか分かりませんが、研究会やゼミの運営から、メーリングリストの管理から飲み会まで、何をするにも学生がとても積極的で、本当に毎日驚きの連続、感心することしきりです。反応の良さと積極性に関しては、お世辞でなく、東大とか早稲田の学生以上かも知れませんね。単に、私の気質・性格に合っているだけかも知れませんけど、何にしても、嬉しい限りです。
・うちの研究科は、幅広い世界(政府/自治体、民間企業、シンクタンクNGO/NPO、メディア等)で即戦力として活躍できる博士学位保持者の育成を第一の理念としており、事実、完成年度を迎えたばかりであるにも関わらず、かなりのハイペースで博士学位取得者を輩出しています。文系理系を問わず「何をするにも博士号がないとダメ」という社会が日本でも遠からず(いつになるかは分かりませんが)やってくるでしょうから、そのための人的インフラ作りみたいなものでしょうか、それを他に先駆けてやっている、という印象です。私も、これまで培ってきた人的・社会的ネットワーク(美術館、コンサートホール、出版業界、教育機関、学術機関、メディア、個人的なつながり等)を再起動&再構築して、教育活動にフルに結びつけていきたいと考えております。ここを読まれている皆様方にも、今後はこれまで以上に色々とお世話になることと思いますが、何卒よろしくお願い申し上げます。
立命館大学衣笠キャンパスまでは、堀川御池近くの自宅から自転車で二十分(上り坂なので行きは二十五分、帰りは十五分)なので通勤はとても快適です。しかも東京ではありえない(構想はされているようですが)ことに京都の道は、自転車用の側道が整備されていることが多く、とても走りやすいです。私の狭い知見では、これほど自転車フレンドリーな都市は、ベルリン以外には知りません。もう散っちゃいましたが、桜が満開の二条城のお堀の脇を自転車で走り、帰りはライトアップされた二条城にスーッと帰ってくると、自分がどうしてここにいるのかが不思議で、まるで夢のような気分でした。仕事に行く日はほぼ毎日地下を走る電車に乗っていた東京時代がバカみたいに思えてきます。電車通勤は(いくら短時間でも)精神衛生上も身体健康上も経済効率上も、絶対、良いことありません。東京時代からそう思ってきましたが、京都に来て、中央線が止まって何時間待ち云々といったニュースをテレビで見るにつけ、そう確信します。ただし(これは土地柄なのか時節柄なのか分かりませんが)京都はけっこうぐずついた空模様が多いので、自転車を乗る上でつねに天候が気になり、それが結構ストレスです。曇ってるな、と思うと、絶対、ポッっときます。ただしポッっと以上にこないこともしばしばです。晴れるか雨降るかどっちかにせー!といつも思います。うちの嫁さん(ただし神戸出身)に顕著にみられる「いつも傘持って行かないと不安」症候が、実は私がこれまで無縁だっただけで、関西人にある程度共通のものではないか、とも思えてきました。まあ雨の日も大学まではバスでも二十分くらいだし(大学までのバスのアクセスがいいところを狙って家探しをしました)最悪の場合、タクシーでも千円少々なので、良しとしますけど。これから先私が京都に適合できるかどうか、最終的には、この天候にかかっている気すらしますね。
大阪市大のマスダ君が、私の歓迎会(と称する飲み会=関西居酒屋研究会の設立例会と共催)を二度ほど企画してくれました。同じく今年から立命館の産業社会学部に赴任されたマンガ研究(という肩書きでは絶対収まらないことを確認済みですが)の瓜生吉則さんや、視覚文化研究の分野では現在日本で双璧をなす佐藤守弘さん前川修さんにも、彼のおかげで、初顔合わせすることができました(前川さんとはかつて学会幹事としてニアミスしてますが)。しかしそのこと以上に、私のような赴任直後の転勤者(しかも三十歳を過ぎて出身地を遠く離れた土地に移住)が通常持つはずの孤独感をまったく持たずに、多くの人達に囲まれてスムースに新生活をスタートできたことが、何よりも励みになりました。マスダアニキ、本当にありがとうございました。ホントに私は幸せ者です。おかげさまで、夜桜の鴨川の河川敷で「カップル等間隔着席」の法則もこの目でしかと確認できました。あっ、そういえばアニキも四月から准教授になられたそうで、おめでとうございます。私も嬉しいです。これからも末長く制度的には「横並び」でよろしくお願いしやす。今後一切抜け駆け禁止(何の?)ということで。
・今回、転勤、引越と東京の最後の日々で色々な方々にお世話になるなかで、仕事の関係者からは意味深に(つーか意味深止めてよ!)、そうでない方々(近所の人や友人知人)からは脳天気に(失礼!)「ずっと向こう行っちゃう訳ではないんでしょ?」「どうせまたすぐに東京に戻ってくるんでしょ?」とたくさん言われました。「奥さんの実家に近くなるので良かったわねえ」と同じくらいの回数、そう言われたように記憶してます。まあ嫁さんが関西出身とはいえ、私と娘二人は東京出身(だのになぜか長女は神戸言葉)だからそう思われるのは当然ですし、お世辞でもそう仰っていただけるお気持ちは嬉しいのですが、申し訳ありませんが、東京には当分戻るつもりはありません。なにしろ引越はもう懲り懲りです。それは物理的な面(これだけでもサイテーですが)だけでなく精神的な面でもそうで、皆さんもご存じの通り、私はここ数年、ずっと不安定な生を暮らしてきたものですから、家族(とくに嫁さん)にはとても迷惑をかけました。例えば私はこの五年間で毎年、肩書きが変わっています(学振研究員→非常勤講師→助手→助教→准教授)。私は大学人ですので、それは単に職業(収入)上の不安定を意味するのみならず、来年の今頃はどこでどうしているか分からない、という生活上の極度の緊張状態が五年続いたことを意味します。学振のPDをやってた一年目に結婚したので、この七、八年間、そして結婚してからずっと、そうした不安定状態に彼女を置いてきたわけです。「吉田君(吉田さん)の奥さんって、どんな人だか見てみたい」とよく(大半皮肉で)言われますが、そう言いたくなる気持ちは私もよーく分かります。ありえないくらいハードな人生を無理矢理同伴させておいて言う台詞ではないでしょうが、なるほど普通のオナゴでは到底務まらないでしょう。つーか、まともな精神状態の人間であれば、絶対これまでのどこかでつぶれてます。妊娠、出産、育児を二度繰り返すどころじゃありません(まあその結果として発見されたのは、嫁さんの方が私よりも数倍強靭な精神の持ち主であった、という単純な事実だったのですが)。したがって嫁さんと子供達には、もうこれ以上私の仕事のことで迷惑をかけず、京都でしばらくは安定した、落ち着いた、静かな生活をさせてあげたいと思っているのです。上の娘には、一年(半年)遅れでもこっちで幼稚園にも行かせてやりたいと思ってます。私自身も願わくば少しはゆったりしたいですが、これまでもつねに修羅場状態は自己責任の結果でしたので、この先も修羅場でもまあいいです。せいぜい頑張ります。ただ黙々と働き子を残して死んでいくのみが男の本懐かなと、多少マッチョな気分でいる今日この頃です。
・昨年十月の地獄のような日々の中、寝不足で倒れそうになりながら書類を作って申請した科研費(新幹線のなかで数時間で書き上げた原稿を一、二日でフォーマットに入れプリントアウト&コピーして何とか滑り込みで提出)が無事に通ったとの連絡を、東大から頂きました。これはたまった疲れを完全に吹き飛ばす、とまでは行きませんが、少なくとも久しぶりの明るいニュースでした(ここを読み返したら、すっかり忘れてた「糊付け」の苦労が思い出されました。もう当分やりたくないす。次は「ほら工作だよ」と騙してうちの子に貼らせます)。ホッ。これで新たな勤務先にもどうにか面目が立ちます。聴覚文化論絡みのプロジェクトですので、これまでもお世話になってきた研究仲間やアーチストの皆さん、関連する研究をしている学生の皆さんにもご協力を頂きながら、進めていきたいと思います。関係各位にはまたご連絡をさせていただきます。