無神論的な美学は「ぎこちない」か?

調べごとをしていて2ちゃんねるの宗教系のスレを読んでいて、ある書き込みにふと考えさせられた。
それは以下のようなものだ。
「※※さんが自殺について書いたのをちらりと読んだことがある。だけど死んだ後も遺品整理や遺体の処理など自分ひとりではできない。絶対に人の来ない山奥での自殺でないと人は死ぬことでさえも人に迷惑をかける存在なのだ。だけどそれ以前に自殺や倫理を無神論で扱おうとするとかなりぎこちない。 」
※※氏というのは、最近関西の大学の総長にもなった哲学・倫理学者で、ポピュラーな影響力を持っている人だ(私も個人的によく知っている方)。
この書き込みの主が※※氏の何を読んだのだか分からないが、文脈からみて、おそらく「自殺によって自分という存在が完全に社会的に消去できるわけではない」とか「死も不可避的に他者と関わる」という趣旨の文章だったのだろう。最近よく新聞などでみかける、「自殺者への呼びかけ」的エッセイだったのかもしれない。
だがそれ自体はどうでもよくて、私が考えさせられたのは「それ以前に自殺や倫理を無神論で扱おうとするとかなりぎこちない」という部分である。この書き込みの主は宗教(プロテスタント)に関心があるだけで、別に学問や研究に関わる人ではないようだが、それを「無理」などと言わず、「ぎこちない」と表現する点に感心した。一応、無神論を前提としても自殺論や倫理学は何とか体をなしている、あるいはこの国ではそういうことになっているのだろう。ただしどうみても「ぎこちない」のだ。
うちの大学でも共同プロジェクトとして「死生学」なる研究が行われているが、死後の世界が話題になった途端、場の空気が変わってしまう、という感想をこぼす聴講者がいた。当然である。学問分野としてチャレンジングなのは認めるとしても、無神論の立場で死生観を論じることはできないし、できてもあまり意味がない。まさに「ぎこちない」。かといって、いろんな死生観(世界観)をもった人達が集まって、それぞれの死生観を報告・共有しても、学的アウトプットにつながるかどうか疑問である。まあこの辺りは、これ以上先入観で書く前に、毎年もらっている報告書をちゃんと読んでみますわ。
で、ここでの私の問題としては、今まであまり考えたことがなかったが、美学だって無神論ではそうとう「ぎこちない」のではないか、という問いを立ててみたいのだ。
よくカントの『判断力批判』の後半は神の問題を扱っているから、前半だけしか読まない、という人がいる(アメリカでもその傾向がより強いと聞く)。そういう人は概してカントの「前近代的」な側面を馬鹿にしている風なのだが、しかし今だって、カントが考察したような問題(美的判断の自立性と普遍性)に取り組むなら、神や超越的存在の問題は出てこざるを得ないはずだ。その意味で、美学は何ら「進歩」はしていないのだ。それだけでなく、宗教の問題を隠微に表から消去している分、カントの時代よりも退化しているとさえ言える。例えば、現代の英米系の美学が分析哲学プラグマティズム中心というのは誰でも知っているが、そのこととそれらの国で支配的な宗教的傾向との関わりに誰もふれないのは何故なのか(私が知らないだけだったら教えてください)。これはプロテスタンティズムと資本主義の関係と同じくらい自明であるのに。きわめて多くの学説・知的立場が平気で共存できる日本の知的風土の特殊性を、日本人の伝統的宗教意識と結びつけて説明した丸山真男は、それよりも少し賢かったことになる。
美や芸術といったものは一見すると(あるいはわれわれ研究者間の定義では)まったくの世俗的な事柄であり、政教分離ならぬ、「学」教分離は一応、自明となっている。しかしながら、カルチュラル・スタディーズやニュー・ミュジコロジーの教えを徹底するなら、それ自体が虚構であり、イデオロギーであるという結論に至らざるを得ない。芸術の自律性・学問の中立性を攻撃して、社会的政治的効果・文脈・意味性に軸足を移せと宣教するマッチョで新進気鋭の研究者なら、そこでストップして、それらの背後にそびえている宗教・世界観の問題に立ち入らない、ということは本来不可能なはずだ。その意味では、自文化としての西洋音楽を根源的エートスや信仰の問題とつなげて考察したヴェーバーの『音楽社会学』(正式な題名は「音楽の合理的社会学的基礎」)は、今の研究者からはほとんどトンデモ理論と見られてるが、むしろ学者として誠実かつラディカルだったということになる。
ただし、倫理学にしても美学にしても、はたまた(純粋)哲学にしても、神(またはこの世以外の存在、超越者)を導入しないで価値や倫理を考えることができる、しかも無神論者として後ろめたい思いをせずにそれができる、というのは日本人だけの特権(かつ課題)なのだから、たとえ「ぎこちなく」ともそのゲームを享楽せよ!という行き方もありかなとは思いますが。関係者諸氏、いかがなものでしょうか。