ラーメンズあるいは深夜のラーメン屋が持つある種の醜悪さについて

 私がいつも使っている地下鉄の駅から家までのあいだにラーメン屋がある。椅子はなくカウンターだけの店で、七、八人横に並べば満員だ。夜に通ると、一人か二人外で待っている人がいるくらいには客が入っている。今日も11時くらいにその店の前を通ったのだが、チラリと中を覗いてみて驚いた。同じような人達が、ずらりと一列に並んでラーメンを食べているのである。全員が濃紺のスーツ。雰囲気からみて同じ会社の人達なのだろうが、まさか制服というわけではないだろう。身長や体型も同じくらい。ちょっと前屈みでラーメンをすするポーズも一緒(もっともこれはあまり個性を発揮できる領域ではないが)。まあ、ともかく何かのパフォーマンスや諷刺かと思わせるように、同じ服着た人達が同じポーズでズラリなのだ。ときおり適当に左右に目配せをし合いおしゃべりしながらラーメンをすすっているご様子。
 そこにはなぜ女性が一人もいないのか、それは考えるに値する問いではないか、とまず思った。おそらくその会社(か何だか知らんが)には女性の社員も少なからずいるはずだ。そしてそのラーメン屋に寄る前に集っていたはずの飲み会(かどうか知らんが)には女性の仲間もいたはずだ。ところがその横一列のラーメンズ(以下このように略)のなかには女性はいない。彼女たちは一次会で帰ったのだろうか、単にラーメンが嫌いなのだろうか、太るのを気にしているのだろうか、それとも話が馬鹿馬鹿しくて付き合えないのだろうか。ただ明らかに、それは賢明な選択である。あのラーメンズの輪に加わることは女性にとって(そして経験者として自省を込めて言うのだが、男性にとっても)一切メリットはない。そう、深夜11時過ぎに、横一列に並んでラーメンを食べる後ろ姿には、また俺たちだけ残っちゃったよねー的な、独特の敗北感がみなぎっているのだ。そこには、例えば将来の大きなプロジェクトに関する話のような前向きの要素は何一つない。前向きの人はとっくに帰宅しており、明日早起きするのだ。
 ところで、彼らの彼女や妻は今どこで何をしているのか、ということが次に気になった。大の男達があれだけ横一列に並んでいるのだ。おそらく独身者はわずかで、大半は妻帯者であり、そのまた大半には子供もいるであろう(と勝手に想像)。独身者にしたってガールフレンドの一人や二人はいるであろう。では彼女達は今どこで何をしているのか。少なくとも確実に言えるのは、どこかでラーメンを食べてはいないだろうということだ。子供がいればもう寝ている時間であり、男性が外でラーメンを食べている以上、寝かせるのは女性の役割だ。子供がいない夫婦で共働きの場合でも、女性はとっくに帰宅している時間だろう。もしかしたら食事を作って起きて待っていてくれているかも知れないではないか。その食事は(少なくともラーメンよりは)美味しくて健康に良いもののはずだ。ラーメンを食べずに帰ってそれを食べた方が、かりに夕食を二度取ることになったとしても、飲み会の後でがっつりラーメンを食べるよりはマシなはずだ。だのに、彼らはあくまでもラーメンズなのである。
 ご存じの通り現代は、残業を減らすことで少子化問題を改善させようという頓珍漢な考えを政府が本気で実行しようとしている時代である。だがそれは次の点を一つとっただけでも徒労に終わるしかない。というのも政府は、彼らラーメンズ達の存在を、致命的に見落としているのだ。以上でみたように、ラーメンズは自発的に帰宅時間を遅らせ、自発的に夫婦間コミュニケーションの時間を減らし、自発的に子供と接する時間を減らし、自発的にメタボリック症候群にかかっているのだ。まるで、ラーメン屋の深夜営業を制限するか、ラーメンに洋酒なみの重税をかければ、現代日本社会が抱える大半の問題はすんなり解決するのではないかと、錯覚するほどだ。これで、ラーメンと鬱病およびEDの関係が医学的に立証されれば、もう完璧なアンチキャンペーンのできあがりである。
 たしかにラーメンはうまい。とりわけ酒を飲んだ後、深夜に食べるラーメンは一人であろうと数人であろうとうまい。それは私も認めたい。だが冒頭で述べたようなラーメンズは明らかに醜悪である。彼らは美味いものを食べることで得られる個人的な喜び以上の、社会的デメリットを犯している。そしてこの矛盾・葛藤は、当のラーメンズ達自身も自覚しているところであろう。だからラーメンズにはいつも露悪的な敗北感が漂うのだ。
 そういえば、今晩見たラーメンズの後ろ姿には見覚えがあると思っていたが、今思い出した。数人で横一列に並び、ここでしてはいけないと分かっていながらやってしまう、そしてやりながらなぜか笑いがこみ上げてきて隣と目配せしてしまう、立ち小便である。そう考えるなら、そこにどうして女性が一人もいないのかも理解できる。
 なんか我ながらひどいことを書いている気がしてきましたが、ラーメンは好きですし、ラーメン屋さんに恨みはありませんので、念のため。