私の一週間(6/26-7/1)

6月26日(月)
 本郷。夕方から社会学研究室主催、宮本直美さんの『教養の歴史社会学』の書評会。せっかく私が評者の一人として出るので、美学と社会学の院生の交流会にしましょう、と宮本さんと事前に計画。がんばってオルグしたら、社会学の学生よりうちの方が多かった誤算。同じ文学部でもこうまで頭の使い方(使う部分、か)が違うのかーと、私同様、学生も勉強になったはず。ただ社会学の学生に比べてディスカッションには弱いかな。なんとかしなくちゃと思うが、こればかりは場数踏んでもらうしかないか。肝心の中味ですが、社会学博士課程の流王さんが「教養」という理念めいた存在を社会学で扱う際、何をどこまで論じてどういう結論を導くのが妥当なのかという方法論的な観点を掘り下げ、私の側は音楽学研究とドイツ研究の二つの文脈でこの本がどういう成果をあげたかを批判的視点を交えて指摘。要点がもれなく拾えた上、二人のバランスが取れていて、まあ成功と言えるのではないでしょうか。その後、ミュンで遅くまで食事をしながらホントの「交流会」をしました。その後、一人で研究室に戻り、ほろ酔いで少し残業して、終電間際に帰宅。先週に続き、またもや hard Monday だった。

6月27日(火)
 多摩美で授業の後、久しぶりに現代芸術アーカイヴの上崎氏を訪問。同アーカイヴが目下画策中の諸々のグラント戦略をめぐって雑談。グラントの書類はそれ自体、一つのコンセプチュアル・アート作品として捉えるべきだ、という見解で一致。いつもただで飲ませてもらっては申し訳ないような良質のエスプレッソをまたごちそうになる。国立での授業の後は、出講日ではないのに調べものに来てたワジマ氏とこれまた久しぶりに遭遇。ますます業界人みたいな風貌になってました。なんでも年末に打ち上げるべく花火を着々と仕込み中とか。帰りは彼の車(車種は知らぬがルパン三世みたく天井が開く)で新宿まで送ってもらう。天気もよくてドライブには最高。現在の私にとって数少ない、同じ目線の高さで色々と話が交わせる相手。お互い既婚者ということもあり、所帯じみた話ばかりで、艶っぽいネタの一つも出ないのが少々難か(笑)。帰宅後、校正を一本送って校了。CDのライナー書いたのは実は初めてなので、届くのが楽しみです。

6月28日(水)
 本郷。業務のあいまをぬって、何度か事務に足を運ぶ。駒場の学部時代に八号館の事務ですごくお世話になって記憶に残っていた方が、なんと奇遇にも、今うちの大学院掛長。こんなかたちで再会するとはと喜んだのもつかの間、あちらに異動が決まったとのこと。引き継ぎの真っ最中に御挨拶にうかがう。「こういうふうに[後で]声をかけてくれる人[私のことだが]が一人でもいれば、本望ですよ、この仕事は」と後任の方にポロリ。大学の事務方と教員の(ましてや学生の)関係なんて、ほんとうに袖すりあう程度の縁。事務の人とは研究や仕事の話をするわけではないし、学校以外の場所で会う機会もない。そして日々顔を合わせていながら、こちらは卒業や就職で、あちらは異動で、挨拶も御礼もなしに突如いなくなる。そしてたいていの場合、互いの名前も記憶に残らない。だから実は今回のようなケースは十分に幸福なのかもしれない。

6月29日(木)
 午前は仙川、午後は広尾で講義。桐朋はみんな少しずつだが確実にディスカッションに馴染んできたようで、頼もしい限り。聖心では久しぶりに古代から中世のかけての「芸術」概念の変遷を話す。授業後、心理学専攻の学生から卒論のための調査協力を頼まれた。この学生、なかなか興味深い仮説を立てていて、いい論文を書くためにぜひこちらも助力したいのだが、心配なのは被験者が私の美大の講義の学生という点。本当にあの人達でいいのかな? ただよく考えたら、私はいわゆる一般大学で教えてないんだよな(教えたこともない)。実は文学部も聖心が初めてだし。結果はまた報告します。久しぶりに早上がりだったので、夕方の赤羽を買い物がてら散歩。赤羽銀座に古くからある味噌屋にお遣いを頼まれて初めて入る。昔近所だった十条の富士見銀座にも味噌専門店があったけど、味噌屋があるか否かは、豆腐屋や八百屋と並んで、その商店街の生死を見分ける一つのメルクマールになるのではないか、と思う。東京の下町エリアで何件くらい残っているのかも、「味噌屋ブーム」みたいなものが来ない限り、明るみに出ることはないだろうが、そんなブームは決して来ないだろう。

6月30日(金)
 本郷。数年来、研究室の仕事を手伝って頂いてきた方が、上野の某国立博物館に移られるので、御礼の御挨拶と簡単な引き継ぎ。ご自分が本業にしたいと考えている芸術作品修復の仕事が見つかったとのことで、何はともあれ、めでたいめでたい。一方、こちらは今の職場で初めてもらった期末手当の額に幾分気分が冴えない一日。ともかく私も早いところ巣立ちたいものである。

7月1日(土)
 朝の八時前に娘に起こされる。昨晩九時に熟睡に入った彼女は、フル充電完了。一方われわれはドイツとアルゼンチンのPK戦を見終えてから寝たので、まだ四時間少々しか寝ていない。わが子だから許せるが、集団で旅行にいくと必ずこういう奴が一人はいたのを思い出した。しょうがないから連れ出して、食品の買い出しに。父が知らないあいだにわが娘はすっかり地元のパン屋やスーパーの人気者となっていたのであった。午後は実家の母に車を出してもらい、川口(鳩ヶ谷市かもしれないが)の赤ちゃん本舗に行く。わが家で唯一、荒川をこえて埼玉に買い物に行く機会である。近隣エリアでは他に板橋と錦糸町にあるのだが、品揃えがあまり良くないのだ。今回のメインの買い物ははめ込み式の幼児用の便座。人はいつどのようにしてトイレで用便をなすようになるのか、この文明論的な射程をもつフーコー的問いが、目下わが家の最大関心である。一歳九ヶ月になった娘は、知恵もつき、だいぶレディーらしくなったが、いかんせんオムツなのである。人はオムツから始まり、オムツに帰る、それが真実とはいえ、ひとまずオムツから離れなくては人生という束の間の旅路に出発することはできない。トイレで用を足すこと、それは文明社会における不可視の領域を初めて知ることに他ならない。そしてそれは、世の多くのお父さんが自宅にあってトイレ以外に居場所がないという現実問題と対偶関係にあるのだ。ところで、赤ちゃん本舗のいたせりつくせりの品揃えは(サイズさえ変更すれば)「老人本舗」というショップにチェーン展開が可能だ、と行く度に思うのだが、問題はその店舗名があまりにズバリすぎて逆に何の店か分かりにくいことと、現代の日本人は老人グッズに赤ちゃんグッズほどお金をかけないだろうことだ。少子高齢化というが、金の使い方はこれに反比例しているのである。オムツ、補助食器、身体補助器具など同じような商品を用いながら、こうまで文脈が異なる、育児と老人介護。この隣り合わせの日常をいかにかせむ。

そろそろ日記形式がきつくなってきたので、しばらくお休みするかもです。