所得格差の拡大と「地球温暖化」問題

世論調査や国民の実感からみれば「所得格差」は拡がっているのに、内閣府の調査・公表ではそれは「見かけ上の問題」として否定される。「所得格差の拡大」問題はそもそも存在しないのだから、政府はその対処を迫られる必要も筋合いもない、ということである。この問題をめぐる与野党間(自公間も割れているが)の対立を見ていてふと思い出したのが、地球温暖化の「発見」についてである(参考:ワート『温暖化の〈発見〉とは何か』みすず書房)(ついでに言えば、クーンの「パラダイム」論は結局こういう問題を言っていたのだと思った)。地球温暖化の「発見」を主導したのがアメリカの学者であるにも関わらず、アメリカの大統領および議会、産業界はいまだに、地球温暖化は「見かけ上の問題」といってはばからず、京都議定書を黙殺し続けている。一方、日本の首相は、アメリカの大統領をせっかくその京都に呼んでおきながら、京都議定書のことを一言も話題にせずに、牛肉の輸出再開だけを約束して帰してしまう。その意味では今回の「所得格差」の問題と「地球温暖化」の問題は、次元と性質をまったく異にするものの、政治と世論(メディア、学者を含めた)をとりまく構造がよく似ている気がする。とくに悪役達の振る舞いとキャラクターはそっくりだ。ということは、来るべきハッピーエンド(バッドエンド)はこうだろう。狂牛病は「見かけ上の問題」だ、と(現にイラク大量破壊兵器は「見かけ上の問題」であったわけだから)。2006年秋、ようやく大手チェーン店で販売が再開された牛丼を頬張ってみせるパフォーマンスが、異例の国民的人気を誇った宰相の最後の姿として目に浮かぶようである。そして「どうですか? 牛丼食べて私が狂ったようには見えないでしょ? ここの牛丼はいわゆる牛肉を使ってるんじゃありませんよ。そうだったらとても290円で出せません。スジの部分、狂牛病との関連でいえばもっとも危険な部位を使ってるんですから。」とエスプリの利いた最後のジョークも。そりゃそうだ。最初から狂ってたんだから、というのがオチ。だが笑ってはいられない。「真の問題」はようやく今から始まるのだから。