今回の偽装問題は何かを偽装しているのか?

先日、とある建築業界の人が「姉歯氏は単に設計のセンスがなかっただけ」と言うのを聞いて、驚いた。
つまり設計のやり方次第では彼が使ったのと同じ量の鉄筋で、耐震基準を十分に満たす構造設計が可能、ということだ。
そもそも日本の建築基準法が規定する建造物の鉄筋の量は、専門家から見ても多すぎるらしい。そしてその背後には、鉄鋼業界と政治・行政の長年の癒着の構図があるとのこと。それを私は初めて知ったのだが、建築の業界では常識だそうである(この辺り、誤解ならばまずいのでどなたか指摘して下さい)。
従って、可能な限り鉄筋使用量を減らして、かつ耐震構造をクリアーする、ということは図面を引く者としては当然の課題であり、それをうまくやるのが設計者としての腕の見せ所、ということになる。なるほど、と思った。それなら確かに、今回のケースは設計者のセンスの問題(うまくできなかったから計算書で偽装した)であって、鉄筋量それ自体の問題ではないといえる。
しかし今回の偽装問題に関連して、こうした観点からの報道がほとんど見られないのはどういうことか。しかも以上のような認識(「日本はそもそも鉄筋量が多すぎる」)が建築業界の「常識」であるなら、なおさらわれわれ一般人にそれを教えてくれてもいいのではないか。まともなメディアなら、鉄筋の「量」の問題ばかりに固執せず、実際の設計現場でその鉄筋が耐震との関係のなかでどう「料理」されているのか、また法律が定める量そのものには問題がないのか(政・官と鉄鋼業界との癒着が本当にあるならそれも含めて)をきちんと報道してもらいたい。
偽装の過程で「得」をしたのはヒューザーや総研だったかも知れないが、今回の問題発覚後、最終的に、しかも無傷で「得」をする人々が確実にいるはずだ。しかも彼らがどういう人達であるかは、さほど想像に難くない。そこまで視野に収めてこそ、ジャーナリズムではないのか。
偽装を明るみに出すことによって他の何かを偽装する、というのは推理小説のトリックとしても、あまりに初歩的すぎる。